【52】安達太良山

【2006年10月9日】

母が好きで愛読していた高村光太郎の智恵子抄の一節、「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」と謳われた安達太良山。子供時分に本棚の古い本を手に取り、戦中戦後に育った母が文学少女だったという意外な一面に触れ驚いたのを覚えている。
この山との次の出逢いは学生時代、部活の福島出身の女先輩が地元の山について熱く語っていたことだった。自分が東京に暮らし、山のサークルに入ってから「智恵子は東京には空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ…」のフレーズと重なって、安達太良山への想いは増幅していった。

その山へ初めて登ったのは随分経った2006年、商店街視察で会津へ行った時のこと。
智恵子の生まれ育った二本松で新幹線を下りてバスで塩沢温泉登山口へ。その日のうちに県営くろがね小屋まで上り、源泉かけ流しの天然温泉を満喫して床に就く。
翌日は辺り一帯にガスが立ち込める残念な天候だったが、午後から会津市内で会議という余裕のない日程のため、矢筈森を抜けて峰ノ辻から馬ノ瀬稜線を鉄山(1,709m)を踏んで下山することとする。展望のないこの山にはまた来るべし…との思いから乳首状の円錐峰が特徴的という安達太良山頂は敢えてパスし、沼ノ平火口原を下って湯の花採取場の奇観を眺めて中ノ沢温泉へと急いだ。
その後、2015年夏に吾妻山登山をした際に山腹を通り掛かったが、ある方から安達太良の紅葉は素晴らしいというお話を聞いていたので、次回リベンジはよく晴れた秋の日と決めているためパスして通り過ぎた。

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