【23】笠ヶ岳

【1984年8月20日】

大学2年の逍遥会夏合宿時に悪天候のため、予定の笠行きを断念して下山したリベンジの機会はすぐ翌年夏に訪れた。三戸ゼミ仲間を中心に組んだ俄か4名のパーティで裏銀座コースを縦走。8月19日、入山して5日目の朝も晴れ、三俣山荘キャンプ場を出発して槍穂連峰を西方面からずっと眺める気持ちのいい稜線歩き。三俣蓮華岳(2,841m)、双六岳(2,860m)、弓折岳(2,592m)、抜戸岳(2,813m)と、何度かのアップダウンを繰り返すこと6時間25分で笠ヶ岳山荘キャンプ場に到着した。
翌20日縦走最終日の朝も快晴、早起きして最終目的地の笠ヶ岳(2,898m)に登頂して夜明けの瞬間を待つ。御来光は東方の槍ヶ岳のやや南、大喰岳(3,101m)あたりから昇り、南方にはそれまで見えなかった焼岳、乗鞍岳、御嶽山まではっきり見え、更に西方には雲海の上に影笠を映したその遥か先には加賀の名峰白山まで眺めることが出来た。
笠ヶ岳は飛騨山麓の里から見える端正な高峰とあって、他の奥深い北アルプスの峰々より古い登頂の歴史があり、1,683年円空上人の五岳練行(笠・槍・穂・焼・乗鞍)に機縁のある信仰の山とされる。御来光が頂上に幾つも積まれた卒塔婆のようなケルンをオレンジ色に染める荘厳な光景を目にした時、いつもは大はしゃぎの我々の口は閉じ唯々その雰囲気に圧倒されるだけであった。
後に深田久弥の日本百名山を読むと、円空上人に遅れて1,823年に登頂した播隆上人は笠ヶ岳の頂上から御来迎が雲の中に浮び、阿弥陀仏が三度出現するのを見て随喜の涙をこぼして奉拝したとあった。信仰心の薄い学生でさえ黙らせる瞬間はやはり本物だったと思われた。
下山路は杓子平まで戻って、再び去年と同じ笠新道の急降下にヘトヘトな体を、一週間ぶりに入った新穂高温泉がしっかり癒してくれた。

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