【2】飯豊山

【1982年8月3~9日】【2017年9月3~6日】

大学1年の逍遥会夏山合宿、他の4パーティが華やかな北アルプスを目指したのに対し、我々だけは“飯豊はイイデエ”という3年生の言葉に唆されて飯豊連峰へ向かった。メンバーは男女混合9人の大所帯パーティ(通称混パ:L橋本㊚・SL末木㊚・川田㊚・池津㊛・進藤㊛・伊庭㊚・小菅㊛・久野㊛)で、1年生男子の伊庭と自分が6テン担当として25kg超(テントが雨を含むと30kg)の大荷物をキスリングで背負う役回りであった。
8月2日23時20分発の佐渡7号で上野を出発、8月3日新津経由で大石ダムまでタクシーで入って東俣川沿いの林道を朳差登山口のカモスの渡り場まで歩いて前泊(実働3本1時間50分)。
翌4日は夜半からの雨で水分を吸収した6テンを背負うキスリングが肩に食い込む最悪のコンディション、暴風雨の中をパッキングを済ませて5時40分出発。権内尾根の辛い上りに取り付き、500m、620m、カモス峰、権内峰、千本峰、1,300m、1,500mと高度を稼ぐこと7本目で朳差岳(1,634m)に登頂。しかし視界1~2mで何も見えず、山頂直下にある筈の小屋も全く見えず一同焦りと疲労で半ば意識朦朧になりながら、12時過ぎ誰かの声で朳差小屋に到着したことがわかった(実働8本6時間7分)。
5日は天候回復し気持ち良く稜線を歩いて、鉾立峰(1,573m)、大石山(1,567m)を越えて水が豊富な頼母木小屋に予定短縮して泊まることになった。陽が落ちるとはるか北方の日本海、新潟市街の夜景も見え前日と打って変わったゴージャスな夜を過ごした(実働4本2時間7分)。
6日も快晴で風そよぐ尾根を快調に歩いて高原のような門内岳(1,887m)を越えて、北俣岳(2,025m)へ一登りし昼食休憩。すぐ下に今夜の泊地、梅花皮小屋が見えていたので皆な余裕でゆったり過ごして12時47分テン場へ到着。この日の午後も皆なてんで自由に青春を謳歌、夕食ミーティング後は延々歌合戦タイムが続いた(実働7本3時間26分)。
7日またしても快晴、両手にお花畑と雪渓の快適な道を暫く進むとヨーロッパアルプスを想わせる天狗ノ庭に到着、女性陣が斜面に腰かけてエーデルワイスを合唱。11時前御西小屋のテン場に到着すると、ガスが出てきて少し寒かった(実働7本2時間50分)。
8日は曇り空のはっきりしない天気の中を先ず、東北地方最高峰の大日岳(2,128m)へピストン。ザックギャンブルのじゃんけんで負けた先輩方が荷物を背負い、我々は空荷のハイキングを満喫。ガスで大日頂上の展望はなかったが、御西に戻って飯豊山へ向かうフリー山行中は時々晴れ間ものぞいてまずまず。我々は翌日の下山を控え、名残を惜しむように穏やかな午後を愉しみ、今合宿一の大歌合戦のうちに夜は更けていった(実働7本3時間40分)。
9日快晴の朝4時、飯豊山頂(2,105m)に登り直して御来光を拝み最終日がスタート。山頂からは1週間余り歩いてきた尾根道が一望され、皆な心なしか沈黙がちであった。三国岳(1,644m)を経て御沢小屋野営場へと下山、風呂に入り納会(実働7本5時間52分)…翌朝、それぞれが合宿を終えた満足感と安堵感を胸に校歌斉唱して解散。
(※こうして感動的な初めての夏山合宿を終えた訳だが、なぜかその後この合宿の写真が見当たらない…ということで、2017年日本百名山のラスト№100の富士登山を前に、ひとり合宿で辿った思い出のルートを3泊4日で縦走してみることにした)。

初秋の山旅に選んだ飯豊連峰(新潟・山形・福島県境)は実に35年振り…私にとって逍遥会の夏合宿で訪ねた思い出を辿る山行であった。合宿と同じコースを越後下関駅からタクシーで大石ダム沿いに東俣彫刻公園まで入り、午前9時過ぎ登山を開始。二百名山の朳差岳(標高1,636m)までコースタイム7時間50分の長い行程に少しでも早く進もうと思いながら、最初の林道歩きだけで1時間を要しゲイン出来ず先ず苦戦を強いられる。本格的な登山道に入ってからも、長い一本調子の上り道に体力を消耗し切って日暮直前に初日の泊地朳差岳避難小屋へ到着。
2日目の朝、御来光を拝みに小屋から10分戻った朳差山頂へ。前回同様に昨日午後から雲の中で全く視界が利かなかったが、今朝は流れる雲間に陽射しも見られまずまずの天候。ブロッケン現象の中の御来光も久し振りの経験で昂揚感を感じながら、小屋に戻り水場に降りてタンク満タン補給後に南に向けていよいよ縦走を開始。
今回はテント・食料万全な備えで望む縦走なので、行ける所まで行くというのが本日の行程。鉾立峰、大石山、頼母木山、地神山、門内山と小ピークを次々に越して、飯豊連峰のランドマークの一つ北俣岳(標高2,025m)に15時前到着。ここを下った梅花皮小屋前のキャンプ場に到着し、明るいうちにmont-bellの新調テントを設営。ここは学生時代懐かしのテン場、当時同様に水量豊富な水場で水浴びし、例の如くお酒をもって少し高い稜線まで登って北俣岳中腹に沈みゆく夕陽を堪能する。
3日目は6時過ぎ、明るくなってからゆっくり出発。梅花皮岳、烏帽子岳を過ぎた先には御手洗ノ池、天狗ノ庭の景勝地が控え、仰ぎ見る先には飯豊本山(2,105m)と大日岳(2,128m)の二大ランドマークが近づいてきた。10時半に御西小屋にザックを置いて、前回登山では視界がなかった最高峰大日岳へのピストンに向かい、積年の眺望リベンジを達成。12時に大日登頂を果たし御西に戻った頃から雲が厚くなってきたので、14時前急ぎ今日の目的地飯豊本山へと出発した。次第に展望が利かなくなって15時過ぎ、飯豊登頂の頃には辺りはガスで真っ白になってしまった。その日も天幕の予定だったが、天候悪化の予報を耳にして急遽本山小屋に泊まることにした。
4日目、昨夜の飯豊本山小屋(標高2,102m)は暴風雨‥下山日も基本☔雨模様、入山日の日曜に続いたカッパ稼働と蒸れとの戦いも加わって我慢の行程だった。
それにしても日本百名山 ハンターには少々閉口気味‥小屋では定年リタイア層を中心に「もう何座‥あと何座」という会話ばかり(年下の小生は99座とは失礼なので言いません…)。彼らはここ飯豊でも百名山に指定されている飯豊山だけが目的(ピークに立つこと自体が目的)…私からすると、方40kmにも及ぶ大山塊の飯豊連峰の醍醐味は飯豊山だけでなく、最高峰の大日岳、真ん中に聳える北俣岳など10数座の稜線を数日かけて縦走してこそ味わえるもの。
深田久弥も飯豊には今回の私と同様の縦走コースを辿っておられ、こうした山の特長に合わせてこその「百の頂に百の喜びあり」と思う。飯豊は信仰の山なので、白装束の参拝山行なら露知らず‥普通の登山者なら各々の山の本当の良さを味わって欲しいと思いつつ下山した。

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