【27】大台ケ原山

【1984年11月2日】

立教大学には昔の学生運動で学園祭がない変わりに1週間の秋休みがある。大学3年の秋休み、私がリーダーを務める男パ5名(SL田村・依田・小川・石井)は三重の大杉谷から奈良の桜井まで歩き通す逍遥会名物の平地合宿に出発した。
10月31日、美味しい牛で有名な松阪市を素通りして宮川ダムまでバスで2時間半、更に貯水池の観光船で40分、昼過ぎようやく登山口に着いた。初日は大杉谷沿いの大日嵓、平等嵓などの景勝地巡りをしながら桃ノ木小屋まで5本2時間39分の実働。テント泊不可のため小屋泊まりとした。皆は掟破りの布団で眠れてラッキーと明るく振舞っていたが、この時は誰も超過酷な翌日が待っているとは知らずに熟睡した。
11月1日、スタート直後から七ツ釜滝、光滝、隠滝、与八郎滝、堂倉滝と大杉谷を代表する絶景を愛でながら観光気分の歩きであった。ところがここから険しい急登が始まり、堂倉小屋跡の林道を突っ切りシャクナゲ平を経て日出ヶ岳に向かうルート上で道に迷うアクシデントも発生。危険な尾根筋を藪漕ぎしてどうにか日出ヶ岳山頂(1,695m)に到着した。迷走トップを務めた小川君は空腹と疲労で暫くバテて動けなくなってしまう始末…、泊地の大台ヶ原までフリーとしたが正木ヶ原、牛石ヶ原を巡る遠回りの名勝コースを選択したのは自分だけで、あとの4名は3分の1僅か30分のショートカットのちょろい道を選択した(短距離道の実働は9本4時間55分)。全く男パのくせになのに情けないもんだ…とぼやきつつ泊地に着いてみると、またしてもキャンプ禁止で大台荘という有料小屋に泊まる掟破り。メンバーは皆な仕方ねぇなぁ…と文句を言いつつも、昨日に続いてお風呂に入れてラッキーと思っていたようだ。
11月2日、大台ヶ原ドライブウェイのアスファルト道を伯母峰峠まで下り、大峰・大台ヶ原連絡路の笙ノ窟尾根を辿る予定であったが酷いブッシュで道が見当たらず、やむなく和佐又スキー場の迂回路を歩く羽目となり、予定の小笹ノ宿まで到達できず笙ノ窟の洞穴でビバーク⛺泊となった(実働9本6時間22分)。
11月3日、朝6時前に出発し1本目で大普賢岳(1,780m)ピークに登頂するも寒い。ただ、樹氷が朝日に光り輝き、はるか弥山や日出ヶ岳の眺望は素晴らしかった。やがて女人禁制の聖域に入って、山岳宗教のメッカ山上ヶ岳(1,719m)に到着し大峯山上権現で第1昼飯。この日の行程は昨日の3時間分の積み残しが嵩んで、洞辻茶屋から更に24km先の吉野まで下らなければならない。
登山道を晩秋から紅葉へと高度を下げて歩くうちに辺りは日暮時を迎え、暗くなる前に泊地を見つけねばと焦りつつ17時過ぎに人里近い金峰神社に到着。お腹が空いてどうしようもなかったので、我々は電話ボックスの明かりを頼りに第2昼飯を食べて元気を出す。モノ哀しい気分に苛まれつつテン場を探しながら歩くこと30分で吉野一展望台という最高の泊地を発見。吉野の街を見下ろす高台の駐車場に許可を得て⛺テン幕、吉野の夜景が荒んだ男達の心を癒してくれたが、この4日目は合宿最大の過酷さであった(実働13本8時間51分)。
この後、5日目フリーで吉野から万葉の道を辿って談山神社(実働5本4時間8分)、6日目最終日は石舞台、高松塚古墳と飛鳥山の辺の道を辿って甘樫丘で昼食をとり、奈良県桜井の山田寺跡に到着(実働5本2時間57分)。
我々逍遥会の合宿は通常、最終日のみ限界に挑戦するハードな行程であったが、今回の男パは2日目から4日目まで想定外の壁との闘かいの毎日が続き、史上稀に見る超過酷な紀伊半島の秋合宿であった。

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