【38】塩見岳

【1991年8月17~18日】【2011年8月6日】

銀行の営業マンとして尾道で馬車馬のように働き、プロ野球の月間MVPのような優績融資渉外行員にも年に3度輝く成果もあげていた。そんなある日、隠れ労災の交通事故(後ろから追突される)に遭遇してすぐにムチ打ちの後遺症が出た。ポストチャレンジ制度に採用されて本部経済研究所へ転勤したその夏、これからの人生観をゆっくり考え直そうと1週間休みを取って山へ向かった。
ルートは長大な稜線が続く南アルプス南部の縦走、初日は鹿塩から塩川に沿って三伏峠まで5時間の急登。仕事漬けの毎日で自慢だった体力も大幅に低下、しかも1週間分の重い荷物がズッシリ来て不覚にも後半バテバテ…這う這うの体で何とか日本で一番高い三伏峠(2,607m)まで行き着いた。
翌早朝、テン場から朝日を眺めて塩見岳まで往復9時間のピストンに向かう。逆光の陽射しの中に漆黒の鉄兜と称される中々格好いい塩見岳の雄峰が聳え立つ。本谷山(2,658m)を過ぎるとシラビソ林からハイマツの尾根上に出て、塩見小屋を過ぎるといよいよ最後の急登。西峰(3,047m)からは雲の上に頭を覗かす富士山、東峰(3,052m)からは北岳・間ノ岳・農鳥岳の白峰三山の眺望が見事だった。この景色にすっかり気分はルンルン、空荷で軽快に歩いて三伏峠に戻って来たが、未だ十分な時間があったので予定を変更、テントを撤収し先までゲインすることとした。
その日は、更に烏帽子岳(2,726m)を経て前小河内岳(2,784m)、小河内岳避難小屋まで2時間半の行程を進んだ。

2011年の夏、1991年夏に辿った時と同じルートで三伏峠を登り詰め、今度は塩見岳から北側の仙塩尾根を4日掛かりで縦走して仙丈ヶ岳へ向かった。二度目の塩見山頂はガスで覆われ展望はなかったが、北側斜面のバットレスを眺めるにつけ、どこから見てもこの山の格好良さは折り紙付きであった(※仙丈岳参照)。

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