【40】赤石岳

【1991年8月21日】

この日もガスが掛かって小雨模様の天気だったため、日程の余裕のない私は出発することにした。今日は2,600mの荒川小屋まで一旦下って大聖寺平、小赤石岳を経て標高3,120mの赤石岳へと上り直すコースタイム4時間半の厳しい筈の行程だったが、連泊で気力・体力ともに復活していたからか、赤石まで難なく3時間弱で到達した。
北アルプスが飛騨山系、中央アルプスが木曽山系、南アルプスは赤石山系と言われるだけあって、赤色が特徴の堂々としたこの山は南アルプスの宗家とか盟主と呼ばれている。この日はガスの中なので遠くから赤い姿を捉えられなかったのは残念ながら、大きな図体のこの山の足元にはごろごろと赤い岩石が続いていた。
深田久弥は赤石岳について、偉大な人物は時日を遠ざかって、その光輝を隠していた群小人物が低下した時、初めてその真価値が認められる如きものに擬えて絶賛。私の記憶にあるあらゆる頂上のなかで、赤石岳のそれほど立派なものはなく、これほどの寛容と威厳を兼ね備えた頂上はほかにあるまいと評している。
私は足元の感覚を通してその偉大さの片鱗を確り受け止めつつ、赤石を後にして更に南に延びる稜線を進み、3時間掛かるとされる百間洞小屋にも陽の高いうちに到着。そこで昨日の連泊の遅れを取り戻すべく明るいうちに行けるだけ行こうと、大沢岳(2,820m)、中盛丸山(2,807m)、小兎岳(2,738m)を経て、兎岳(2,840m)の避難小屋までプラスα3時間40分を詰めた。

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